最近のお届け便の様子

最近は、こちらのブログではなく、インスタグラムの方で内容をご紹介しています。

ブログよりも気軽に更新できるため…ご覧いただければ幸いです。

 

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カカオ便

 

ケーク・オ・ショコラ
モカココナッツ
グラノーラ
カカオクッキー
4種のチョコレート
しょうが入り野草茶
土佐の柑橘

 

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 旧暦では一年のはじまりは立春から、と考えられていたそうです。今年の立春は、2月4日。寒さはまだ和らぐ気配はないけれど、その一方で、たしかに春がきざしているようにも感じられるのです。ふとした時のひかりの具合や匂い、ちいさなふきのとうが出始め、気づくと梅が咲きはじめ、春は知らぬ間にすぐそこまで来ているようです。かと思えば今年二度目の寒波が押し寄せ、ある日はマイナス6℃まで気温が下がり、朝蛇口をひねると、水がでない!水道管の中で水が凍ってしまったのです。幸い家族の人数分の湯たんぽがあったので、それで手を洗い、ごはんを炊くのはあきらめてパンケーキをこしらえ(水を使わなくていい)、紅茶はまさか湯たんぽのお湯を使うわけにもいかず、すこしのあいだ我慢。けれども一向に蛇口から水が出てくる気配がしないので、ポットふたつをもって「水をわけてください」とお隣さんを訪ね、ようやくあたたかい紅茶に牛乳をおとしたのでした。


 お昼頃には水道もつかえるようになり、つめたい水で山のようにたまった食器をあらいながら、ふと「水がふんだんに使えるのはなんとありがたいことか」との気持ちがこみあげてきて、蛇口を少し逆回しにひねり、いつもより少ない量の水で洗い物をしたのでした。山のふもとに住んでいるとはいっても、文明の利器に守られながらの日々、思いがけない不便がきっかけとなって、洗い立ての服が着られること、お風呂にはいれること(しかも好きな時間に!)、部屋が暖かいこと、ごはんが日に三度食べられることがどんなにか特別なことかと思うのです。厳しい生活の中にも、清らかな水や深い山、そして炎に神聖な力が当然のように宿っていた時代。


 今日は満月。昨夜は白い月がこうこうと輝いていました。まだ明るさの残る夕方、南西の空に一番はじめにあらわれる星は金星。その左上にはちいさな火星が輝いて、二星は夜の深まりとともに山に端に沈んでゆきます。満ちた月が照らす道はあかるくて、なるほどいにしえの時代の夜這いもこの明るさならしやすかろう、一方新月の夜の闇は濃く、それゆえ空の星々はしずかにけれども力強くまたたくのです。山の上の本屋さんでオリオン座を眺めていたら、店主が「あの左上の赤い星はもう死んでいるのだそうです」と教えてくれました。何万光年先の星はもうないけれど、その赤い光だけがまだこの場所に届き続けている。そんなことを考えていたら、宇宙のふしぎが鮮やかに切り込んできたように思え、わたしたちの住んでいる世界は、いったいどれほどちいさいのだろうと、ならばそのちいささやはかなさや刹那の中でどこまも自由な心でいることがあるいは宇宙の不思議につながるのでは、などとぼんやりと思ったのでした。


冬ごもり便

パンデピス
冬のフルーツケーキ
キャラメルりんごパイ
カカオクッキー
プレーンクラッカー
ブシュカンのオランジェット
ブシュカンのマーマレード
キャンディードジンジャー
ホットチョコレート
冬のあわせ野草茶

 

↑キャラメルりんごパイ。12月はよいりんごがたくさん手に入ったので、りんごのスイーツに明け暮れました。

 

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 クリスマスが終わったら、お正月に向けての日々。わが家はどちらもこれといって特別なことはしないのですが(大掃除もしない)、それでもなんとなく気ぜわしくなります。すこしは家の中をさっぱりとしたいし、わずかながらもおせち料理もつくりたい。年内に支払いをすませて、年末年始は精米所がしまるのでお米の準備もしなくては。そうだ、お雑煮用のおもちはどうしよう?たいがい行き当たりばったり、なにもかも不十分なままに新年を迎えるのですが、なますと黒豆だけはそれでも用意し、良心市で買ったお餅でお雑煮をこしらえ、わずかに届く年賀状に目をとおす、そんなささやかなお正月はやはり悪くない、と思うのです。

 

 冬の高知は柑橘がふんだんにあるので、ここしばらく柑橘仕事に明け暮れていました。柚子は種をはずしてごく薄く切って、同量の砂糖と順々に重ね、梅酒用の保存瓶の口いっぱいまで砂糖で蓋をします。夏がすぎるまでそのまま待つと、時間が熟成させたゆず茶のもとができ上がります。うまく仕上がれば、来年にみなさまにもお届けできるかも、と楽しみにしています。それからインドの漬物のアチャールもゆずでこしらえます。みじん切りにして、塩をまぶした状態でただ今冷蔵庫で待機中。時間に余裕ができたら、マスタードシードやフェヌグリーク、チリ、ヒングとターメリックなどたっぷりのスパイスとあわせて熟成させます。南インドでは小さなライムのようなものをつかいますが日本であれば、やはり柚子が合うと思います。


 ブシュカンはマーマレードとピールに。仕上がったマーマレードは厚切りの無塩バターといっしょにパンにのせて食べたら自由な味がしました(たぶんお腹のすいた夜中だったから)。ブシュカンピールはチョコレートがけに。柑橘とチョコレート、という組み合わせには長らく「?」と思っていたのですが、「あ、この味」と初めて納得したのでした。カカオと砂糖の割合を調整しながら飲んだ夜中の熱いホットチョコレートは、苦味と甘み、わずかなシナモンの香りとチリの辛さ、そして全体をくっきりと浮かび上がらせるために投じられた塩が、おのおのの役割を果たしていて、人生もあるいはこのホットチョコレートと同じなのかもしれない、とぼんやりと考えたのでした。

 

 次の年が近づくと、「来年の願い」を5つくらい考えます。考えるだけでなくて、紙に書いてみたり、人に伝えたりもします。願うときが、いちばんしあわせなのかもしれない、と思いながら。

 


季節のお届け便(11月)

クラシックグラノーラ
冬のスパイスジンジャーグラノーラ
ゆずのカトルカール
コーヒークッキー

ゆず
みかん
直七
ぶしゅかん

 

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 わが家にとって、高知の秋をたった一言で表すなら……それは「豊穣と多忙」です(二語になってしまいました)。

 

 これでもかと穫れる地元ならではの産物は、まず山ほどの生姜とゆず。さらに少し寒くなってくる11月下旬の晴れ続きの週に必ずやりたいのが干し柿の仕込み。今年は最低100個吊るそう、タイミングよく渋柿が手に入るだろうか、なんて仕事の合間に天気予報とにらめっこしていると、玄関で「服部さーん!」と声が。駆けつけると、いつもよくしてくださる近所の方が3、4個の花梨を抱えて、「ねぇ、庭の花梨なんだけど。何かに使える?」そうだ、もう花梨の季節だった、と内心慌てながら、「ありがとうございます、毎年花梨蜜を仕込むんです」とお礼を言うと、「へぇ、花梨蜜!うちは今までトイレの芳香剤代わりにしか使ったことないよ」(←さすが田舎、なんとすてきな天然の芳香剤だろうと感服。たしかに、キッチンカウンターに置いておくだけですばらしい香りが漂います)。


 花梨蜜、つくったらお礼にお持ちしますねとお約束して、再び仕事をしていると、長男が学校から帰宅。ぎょっとするような本物の丸太を両手で抱え、「これ、隣のおんちゃん(おじちゃん)がくれた」。聞けば、「日陰に置けば、椎茸が生えてくる(=原木椎茸の木!)」。わあ、やった!とよろこんでいると、電話が鳴ってお世話になっている柑橘農家さんが「規格外のみかんがそろそろ出るけど、今年はどうする???」


 収穫の豊かさに身体と頭が追いつかず、慌てふためきながらも、今年もありがたいなぁと思う晩秋です。

 

 季節の産物をせっせと使っていると、生ごみが大量に出ます。生ごみ処理容器にはとても入りきらないので、そのまま土に埋めることも頻発するのですが、穴を掘るのは結構手間がかかり、これが季節の仕事が終わったあとの小さなストレスになっていました。そこに救世主のように現れたのが、先週末から飼い始めた4羽の鶏。野菜くずも魚のくずも、穀物も硬い皮類も、大抵のものを大喜びで食べ尽くしてくれるのです。ついでに雑草と虫もどんどん食んで、土をひっかきまわして耕してくれ(ほとんど非電化草刈機兼耕運機のよう)、取り込んだ栄養をおいしい卵に変えてくれ、お尻から出てくる残りかす(まわりくどいですね、フンのことです)は畑の肥やしになるという完全無欠な循環。今まで生ごみは「堆肥に使うから必要」と思っていましたが、これからは「まず鶏に食べさせて、さらにいい肥料(=鶏糞)に変えてもらってから使おう」となり、そんな小さな変化にワクワクしている今週です。

 

↑子供たちの遊び相手にもなってくれる鶏。

 


季節のお届け便(10月)

 

クラシックグラノーラ
マロンカカオグラノーラ
和梨のコンフィ
ココナッツトゥルシークッキー

ぎんなん
チャーテ

はぶ茶

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 高知の秋は短いそうですが、それでも秋らしく気持ちのよい日が続いています。朝のひんやりとした空気が、うすい金色のひかりですこしづつ温まり、やわらかい風も吹きだして、とにかくひたすらに気持ちのよい午前中。こんな完璧な時間に、一体いま、この瞬間に何をするべきか、といつも迷ってしまいます。


 網戸を洗ったり、窓を拭いたり、お手洗いを念入りに磨き上げたり。たまには床も水拭きしたい。掃除は天気の良い午前中がいちばんはかどります。というか、掃除が不得手なので、気持ちの良い気候でないと、どうにもやる気が起きない...のです。あるいは畑に行って、たまねぎの苗を植えるために硬くなった土を耕すか。ほんとうは、なにもせずにぼんやりとしつつ、この間手に入れた別冊太陽の星野道夫の特集を読みたいのだけれど!


 布団を干すのにベストなのもこの時期。午後になって取り込んだ布団の太陽の匂いが消えぬうちにと、昼寝するときの、ノスタルジックで、わずかなさみしさが混じった幸福感。なんとかとどめていたいのに、さらさらと指の間からこぼれてゆく、砂のような時間にも思えるのです。

 

 すこし肌寒くなってくると、動物性のものがほしくなってきます。昨日のカフェでは骨付き鶏肉のビリヤニ(スパイシーな炊き込みご飯)をこしらえました。肉や魚には、薬味や柑橘をたっぷりと、と思っています。にんにくや生姜、玉ねぎやねぎをたくさんつかって料理して、食べる時にもハーブや酢みかん(ゆずやすだちなどの柑橘)を絞ります。お皿に盛ったビリヤニには、やわらかい人参葉と細ネギ、コリアンダーを刻んだものを大量にのせ、すだちとおろしにんにく、塩を加えたヨーグルトにきゅうりとピーマンをさいの目に切ったものを添えました。そして食べるときには、半分に切ったすだちを絞りかけます。すこし重くなりがちな肉料理も、こんな風に重ねて薬味をつかうと軽やかにおいしく食べられます。


 空気も乾燥してきたので、パンや焼き菓子、あたたかい飲み物もとくべつにおいしく感じられます。おいしいものがたくさん出回るので、すこし欲張って食べ過ぎてしまうことも。夏の疲れがでたり、急な温度変化が多いのもこの季節の特徴で、気候が良い分つい、いろいろやりたくなったりしてしまうのですが、それでもやはり、気持ちのいいこの季節だからこそ、からだとこころを休めてあげたい、とも思うのです。いちばん体がよろこぶのがたっぷりの睡眠。お風呂に入って温まって、気持ちよく干しあがったお布団に湯たんぽを入れて、ほんのすこしストレッチでもしたら、すこぶる贅沢な眠りの時間になりそう。食べたいものを食べて、ごくごく簡単に部屋を調えて(あるいは掃除などやめてしまって!)時計を気にせずに本を読んだり、お昼寝したり。そう、この季節は眠たくなるのです!厳しい季節と季節の合い間には、夢見るように体とこころを解きほぐしたい、そんな風に思ったのでした。

 


季節のお届け便(9月)

 

クラシックグラノーラ
いちじくのメープルグラノーラ
いちじくとブシュカンのコンフィチュール
レモングラスクッキー

きし豆茶
ブシュカン
新しょうが
ユーカリの束

 

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Jさんへ


 今日は月にいちどのお届け便の発送日です。窓を全開にして、床にぺたりと座り込んでユーカリの葉を束ねていたのですが、7束くらいつくったところですこし雰囲気を変えたくなり、鉄のフライパンを持ちだして、見かけのいまひとつよろしくない、けれどもひとしく爽やかに香る、はじいたユーカリの葉にマッチで火をつけました。ちいさな炎と部屋にひろがってゆくよい匂いの煙をぼんやりと眺めていたら、郵便屋さんのバイクの音。わが家のポストは家から少しはなれているので、思わず「郵便屋さーん、わたし宛ての手紙ありますか?」と叫びたいのをこらえて、小走りにポストに駆け寄り、のぞきこんだポストの中には水色の封筒が落とされていました。


 みどりがかった青のインクに自由で端正な文字、手に取ると、厚みがあって(たくさん書いてあるにちがいない)、いっそう胸が高鳴りました。じつは、Jさんたちが帰ってから、すぐにお手紙を書きたかったのですが、多忙を極めるなか、お返事を気にされるかも、とおもいとどまっていたのです。そして、そのうちお手紙をくださるような気もしていたので、その時間の分、なおさらいっそううれしかった。ありがとう。

 

 わが家の夏は毎年にぎやななのに、今年の来客はJさんたちだけ。そんな特別なゲストを、これといった特別さもなくお迎えしたのですが、思い返してみると、いろいろな魔法が仕掛けられていたように感じられます。


 まず、小屋が一応完成したこと。お手紙にあった「外気と壁一枚!という半屋外感を売りに、自然と一体化した時をすごしてもらえそうですね」の感想を、ありがとう。来年夏の本格オープンを射程に入れ、ちいさな工夫を重ねて、気持ちのよい空間にできたら、と思っています。プロの建築家(!)直々にいただいたアドバイスの力強さが心に残り家まわりのことには腰の重いわが家にしてはめずらしくすぐさまシェードとすだれを手に入れて3カ所に設置したところ、目覚ましい効果でした。快適さ、はほんとうに大事。それがほとんどすべて、と言ってもいいかもしれません「Jさんたちが来る前に畑の草刈りくらいしておかないと!」と着手したばかりだった畑仕事はその後勢いを増し、毎朝晩いそいそと畑に出向いては、ススキの根のはびこった土地の開墾を続けています。先日はじゃがいも100個を植え、にんじんも蒔きました。畑でえんえんと手で土をほぐしたりしている時間は安らぎとインスピレーションに満ちていて、自分の中でしずかな革命が起きています。わたしの人生はくらしと畑を中心に、との思いは日々強まります。Jさんの旅支度の軽やかさに目を見張り、ふたりの姫君の個性のかがやきに「今、この瞬間のすばらしさ」と「未来のたのしみ」のひかりを感じ、母子のつよい結びつきに、心打たれた3日間でした。Jさんファミリーが帰ったあと、家のなかに新鮮な空気と風通しの良さがしばらく漂っていて、魔法、というのは「ありえないことを起こす」のではなく、「見える風景がいつの間にか変わること」と「心のとびらがひらくこと」なのかもしれない、と思ったのでした。高知のあれこれ、ささやかですが箱につめて送ります。再会の日を、たのしみに。


季節のお届け便(8月)

クラシックグラノーラ
レモングラスグラノーラ
こけももチェリーケーキ
カレーリーフクラッカー

 

カレースパイスミックス

黒岩さんの、夏やさい

 

(またしても写真を撮り忘れてしまいました。)

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 八月のはじめ、雨のあがりかけた夕方、高知の山奥、物部(ものべ)のなかでもさらに奥深い笹地区の普賢堂のお祭りに行きました。いまだ精霊の住まう山の中の渓谷や、圧倒的な迫力をもった巨石を横目で見ながら奥へ、もっと奥へ。陽は暮れてゆき、暗闇に包まれた細い道を心細さとともに進みながら、もう引き返そう、そうおもった瞬間、目に入った裸電球のつらなり。灯りをたよりに、坂を下に降りてゆくと、立派なお堂と、踊るひとたちが目に入りました。一見簡単に見えるのに、いざ踊ろうとすると、変拍子のリズムや手拍子のタイミングがどれもむずかしく、それだけで、その土地独特の魅力を浴びたように感じたのでした。食い入るように見つめること数曲、お参りをしたときに「踊ってから帰りなさい」と言われたような気がしたので、久しぶりに感じたはずかしさを横に押しのけ、目をつけていた一番上手なひとの左となりに紛れ込み、つたなさ全開で数曲踊った後には、この場所で一晩踊り続けていたいという気持ちが湧いてきたのでした。


 帰り際に挨拶をした方から、「物部の踊りの伝承の会にこないか」と誘っていただいたとき、「ああ、今日はきっとこのためにこのお祭りに来たのだ」と思い、「行きます」と即答したのでした。からだをつかうことをしたいとここのところ考えていて、商店に貼られた「公民館でバレエを踊りませんか?」のチラシをまじまじと読んでみたり、寝る前にヨガっぽいストレッチを試みてみたりしていたのですですが、どれも、いまひとつピンときていなかったのです。地域に昔からある踊りと歌、そして音楽。技術も服装も関係なく、だれでもすぐにはじめられる、「庶民の踊り」は、わたしの理想そのものでした。


 水曜日の午後7時半、公民館に集まって踊ったのは「はっさん」という無形文化財に指定された踊りで、なんとも表現しがたい不思議な音楽、手の形(「猫の手と幽霊の手のあいだくらい」と説明された)、顔のうつむき加減も、とにかく見たことがないような振りで、それでも踊ってゆくうちに、身体が自然に次の動きに移行してゆく感覚が不思議に心地よく、先生の自然でよどみのない動きを目で追っているうちに、昔はいつ、どんな風に踊られていたのだろう、という気持ちが膨らんできたのでした。そんなとき「来週の湖水祭りで、7時20分から「はっさん」をみんなで踊るので集まるように」との声かけがあり、期せずしてふたたび物部のお祭りに出向くことになったのでした。

 

 ともすると頭ばかりを使いがちな現代ではありますが、からだをつかう事、庶民の踊りという形でささやかな表現をこころみることで、身体と、そしてこころを含んだ全体のバランスがとれてゆくようにも思えて、あるいはなにかにつながれるような予感もして、踊りの可能性にひそやかなときめきを感じたのでした。音楽と踊りには、いつの時代にもなにかしらの魔法が含まれているように思うのです。

 


季節のお届け便(7月)

 

クラシックグラノーラ
ルイボスと赤い実のグラノーラ
すもものコンフィチュール
カカオクッキー
自家製ピーナッツバター

香味スパイスみそ
黒豆ごはんのもと
すもも、数種をとりあわせて

 

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梅雨のさなか、湿気をふくんだ空気は重くるしいし、洗濯物もすっきり乾かず、梅雨特融の冷えのせいか、体調もいまひとつ...なんとかこの連鎖を断ち切ることはできないだろうか、と毎日考えるのですが、自然のありように逆らうのは容易ではありません。高知は高温多湿なことで知られていますが、梅雨の雨量と湿気には、ほんとうにお手上げです。去年住んでいた土佐山の家の湿気は尋常ではなく、「ものみなすべてかびる」様相にめまいのする思いでした。非電化生活をゆるやかに目指すわが家としては、相当な葛藤した結果、除湿器を購入、その日以降の生活の質の上昇具合といったら!文明の利器はかようにして生み出され、普及していったのだ….といたく納得したのでした。


一方、この梅雨がたしかに日本の自然を支えている、とも思うのです。乾燥地帯のカリフォルニアの山の荒涼としたまったく緑のない風景を目にしたとき、日本の山々の繁る緑は水あってのことなのだ、と胸を打たれたのでした。友人からの便りに、「水無月は水の月。そう思うとこの梅雨時期もすてきに感じます」とありました。水が無い月、と書くけれど水がない、わけではなく、「無」は「の」という意味なのだそうです。水無月の由来には諸説あるようですが、40年生きてきてはじめて「水無月」が「水の月」という意味であったということを知って、時空がほんのすこしずれたような、不思議な心持ちになりました。


もう7月に入りましたが、水無月といえば京都で6月に食べる和菓子を思い出します。見た目はすこぶる地味で、ういろう生地の上にあずきがのせられ、三角形に切られたお菓子ですが、6月に入るとどこの和菓子屋にいっても「水無月」がずらりと並びます。あずきは「悪魔祓い」を意味し、三角形の形は「暑気を払う氷室の氷」を表現しているとか。食べてみると、さほどおいしいとも思えないのですが、「この季節はこれを必ず」という「約束ごと」には、おいしさを超える、呪術めいた力がたしかにあるようにも思えたのです。じっさいわたしたちも京都の「水無月の魔力」(?)にさそわれて幾度となく水無月を求め、ついに「宝泉」という店の完璧とも言える水無月にたどりついたのでした。


 このうす灰色の梅雨の時期にあって、みずみずしさ酸味を運んでくれるのがすももです。収穫時期はほんのいっとき。ちいさな張りのある姿に、原種を思わせる野性味のある酸味とうっすらとした甘み。毎朝直売所にすももを目指して向かい、あれば歓び勇んで数袋を抱え込み、なければ「もうすももの時期は終わってしまったのだろうか。でもほかの生産者さんがまた出すかも…」と明日以降の希望につなぎます。そのままでももちろん、ジャムに仕立てて、クラフティにも焼き込んで、とずいぶん楽しみました。


すももが終わったら、夏はすぐそこ。


季節のお届け便(5月)

遅ればせながら…(写真は撮り忘れました。。。)

 

クラシックグラノーラ
紅茶メイプルグラノーラ
清澄さんの文旦のコンフィチュール
コーヒーブラウニー
ローズマリークラッカー

香り伽羅蕗
薬草茶
土佐にんにく

 

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本がすきです。書いてある内容も、ことばも、めくるページの質感も、活字も、文庫本の軽さも、単行本のしっかりとした表紙も、すべてが魅力的にうつります。つかれたときにページをめくると頭がやすまるし、落ち込んだ時に本を読むと、しばし現実から逃避できるうえに、読み終えたころには幾分心がかるくなっていることも。素敵なひとからあたらしい本との出会いをいただくこともあるし、長いあいだ気になっていた本をいよいよ読み始める時の、そのタイミングにも醍醐味があると感じています。ふるくからの友人のような本、はじめましての本、思いがけない出会い、必然のタイミング...本はわたしの扉、のような気がしています。


山のうえに、ちいさな本屋さんがあります。高知市内から車で一時間とすこし、大きな川をわたり、ちいさな集落と田んぼのあいだの細い道をすすんで、山を登ってゆきます。途中、古代の空気がただよう神社があって….ほんとうに、この道の先に本屋さんが?はじめて来る人はだれでもそう思うのではないでしょうか。さっと視界がひらけた山の上にたどり着いたなら、とびらはすぐそこ。しずかな雰囲気をまとった店主が、落ち着いた声で出迎えてくれるはずです。こぢんまりとした空間には、古本と新しい本とが区別なく、店主の誠実な嗜好にしたがって並べられています。狭いはずなのに、どこまでも広がる本の世界。ずっと気になっていた本、タイトルだけでぐっとくる本、「ほんとうにおいしそうな」料理本、自分のまわりをぐるりと囲む本のどこに焦点をあててよいかわからず、目が泳ぎ、挙動もあやしげになってゆきます。いま手に取るべき最初の一冊をとても決められない、とおもいながらはやる気持ちを落ち着けるべく、飲み物とおやつを注文します。そう、ここではおいしいコーヒーと甘いものがいただけるのです!それからおおきく深呼吸をして、あらためて目の前に並ぶ本の背表紙を眺めます。


「買うのは一冊でよいので、どうぞゆっくり読んでいってくださね」と森のなかのひとのような声が後ろから響きます。お店のすみには座り心地がよさそうなソファーが。わたしは、このときめく数々の本のなかから自由に一冊を選びとり、そこに座ってひたすらにページをめくってもよい世界にいる。夢をみているのだろうか、あるいはいまわたしは物語のなかにいる? 心をうごかす本の数々と、おいしいコーヒーとおやつ、店主のしずかな情熱、木ではられた床とソファー。ここは、山のうえ。わたしのひそかな自慢は、この本屋さん「うずまき舎」がわが家の最寄りの本屋さんであるということです。


季節のお届け便(3月)



クラシックグラノーラ
モカココナッツグラノーラ
落ちた福原オレンジのマーマレード
自家製ヌテラ

土佐のきしまめ茶
そのまま食べる、切り干しだいこん
今田さんの大豆

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 あたらしい土地での生活がはじまりました。香美市香北町日ノ御子(かみし、かほくちょう、ひのみこ)というのが、あたらしい住所です。いいにおいのするような、そしてなんだか神々しい名前の土地に、ご縁をいただいて、住まわせていただけることになりました。

 母屋の一部を工房にして、ようやく自分たちの空間でグラノーラが焼けるようになりました。週にいちど、ごはんやお茶をしていただけるような空間も、4月中にオープンしたいとおもっています。敷地内の朽ちかけた小屋は、床は無垢材で張り替えて、内壁と外壁を漆喰塗りにして、夏前には簡素な宿泊小屋になる予定です。どんな風になるのか、いまからとてもたのしみです。

 家の裏、石垣の上の広大な土地の一部を耕しはじめました。ほんのわずかなスーペースであっても、とにかく種をまかなければ!毎日すこしづつ、すすきの根っこを掘り返して、ちいさな畑をつくっています。コリアンダー、大根(季節はずれですが、葉が食べられるかと思って)、それからリーフレタスの種をまきました。どうか芽が出ますように。今年の秋口までには畑を広げて、玉ねぎの苗を300本植えたいと思っています。わが家はほんとうによく玉ねぎを使うので、自給できたらいいなあ、と思っているのです。それからハーブと花もたくさん植えて、晴れた日に畑のすみっこに座ってぼんやりとその風景を眺めてみたい、そんな日を夢見ています

 夕暮れ時には、空がうつくしい茜色になって、夜にはたくさんの星がまたたき、日中はたっぷりと日の光が降り注ぎます。夜になると、車もほとんど通らなくなるので、とても静か。朝までぐっすり眠れます。

 昔からある小道をたどると、ちいさな、すがすがしい神社にたどりつきます。まだ季節ではないのに、ばらのような匂いがする、と思ったら、匂いすみれが群生していました。小道の途中、ある数メートルの部分だけその香りが強くなるので、そこを行ったり来たりして、春のほんのわずかな時間、過ぎ去ってしまう時間を、なんとかとどめることはできないものか、とぼんやりと考えたりもしたのでした。

 暦について調べていたら、春分の説明に、「日天の中を行て昼夜等分の時なり」とあるのをみつけて、その簡潔にして明瞭な、すがすがしささえ感じられる表現に、隠された扉をたたかれたような思いがしたのでした。この土地からはじめてお届けする「季節のお届け便」おたのしみいただけたらうれしいです。

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