南インドカレーを届ける

 古くからの友が、鎌倉は長谷に引っ越しました。彼女が大学を卒業後、10年間ハワイに住み、ホクレア号という、星と風のちからだけで航海するカヌー(とはいっても大きい船です)のクルーとして、数か月かけてハワイから日本までやってきた、と伝え聞いたのはたしか8年ほど前のことでした。

 その後、ハワイから高知に住むことになった彼女を訪ねたことが、わたしたちが高知に移住するきっかけとなりました。久しぶりに会うのに、先月も会ったかのような気持ちで、蕗をつみながら話したあの、ひかりにつつまれたような特別な時間。まだ生まれて数か月の末っ子とともに、京都から軽自動車で7時間の旅のさきにたどりついたのは、彼女の笑顔でした。その時彼女がことばにしたことー「わたしは自然を祝福していきてゆきたい」ーを、わたしはまだ忘れられずにいます。海ですごしてきた時間がながい彼女でしたが、どこかで自然全体ー海や、山や、川や、そして夜空と約束をとりかわしているように見えました。果てしない自然への、絶対的な信頼が、彼女のからだとこころに、しっかりと組み込まれているように感じられてならなかったのです。

 その後ほどなくして、同じ山の中に住むことになり、ときにいっしょにご飯をたべ、そして星空を眺めながらえんえんと話しをしたものでした。真夜中、空がひらけた場所に、寝袋と毛布を持ってゆき、あおむけになって眺めつづけた夏のペルセウス流星群、炎の尾の軌跡を瞬間のこして消えてゆく流れ星。絶えずまたたきながら、見えないくらいの速度で空を移動する星々をこころをからっぽにしてながめていたそのとき、「宇宙の不思議」がわたしの中に飛び込んできたのでした。星々は、いつだって頭上でまたたいていたというのに、未知の空間の圧倒的な不思議を体全体で感じたのはそれが初めてだったようにおもうのです。

 車で数分の距離に住んでいた彼女とわたしたちは、今年それぞれに住まいをうつすことになりました。あの、「ご近所さん」だった一年とすこしは、一生のなかでのほんのいっときの宇宙からのギフトだったのです。何か引っ越しのお祝いを、と考えていた時に彼女がわたしのこしらえたカレーを喜んでくれたことをおもいだしました。「そうだ、カレーをつくって、箱につめて送ろう」、数日前、そう思い立ったのが、カレー便のはじまりです。彼女は、こうやっていつだって、思いがけない贈り物を、かろやかな風にのってわたしに手渡してくれるのです。

フラワーコーディアル

春になって、あちらこちらに花が咲き始めました。
花をもとめて、朝露がまだ残る時間に、川に向かうちいさな小道をつたい下りてゆきました。同じ日ノ御子の集落内であるのに、わたしたちの住まいがある場所とは、また別の空気が流れていました。ひとが住む場所、に対して、ひそやかに守られた場所、のようでした。どんな花と出会えるともわからずに、小道をどんどんたどってゆきます。




小さな流れのわきに、白く可憐な野いちごの花のひかえめな様子、緑の春草とれんげ色のコントラスト、淡いむらさきや濃いむらさきのすみれの花。その日、その時間だけの出会いのように思えたのでした。








コーディアル、はハーブなどを煮出して砂糖を加え、水で割って楽しむ西洋の飲み物です。同じようにつくることもできるのですが、ここ数年作りたいとおもっていたフラワーエッセンスの手法をつかってみたいと思いました。フラワーエッセンスとは、花の持つエネルギーを水にうつしたものを、からだに取り込むことによって、おもに心の抱える問題を調和の状態に導くもの、というのが私の理解ですが、わたしはその日、この土地で、今日この日に出会った花々を、ただそのままに感じて、あわせてみたい―できることならなにかの形をもってーと思いました。
帰り道に出迎えてくれたのは、まぶしい朝のひかりでした。



花が入った籠をかかえて家にもどると、ガラスの容器に水を入れて、花をうかべました。日当たりのよい、裏の畑に数時間おくことで、花のエネルギーが水に転写されるそうです(ひなたぼっこのようでした)。鍋に花ごといれて、火にかけて、花が半透明になってゆき、色があせてゆくようすもまたうつくしく、その時間が特別に思えたのでした。鍋の中が沸騰したら、てんさい糖を加え、火を止めてから、野生のみつばちの蜂蜜をとかしました。そのままでは常温保存ができないので、蒸留酒(ラム)も加えます




できあがったコーディアルを、びんに詰めながら、今日が満月だということに気づき、夜になってから、月のひかりの下におきました。

花を摘ませてもらいながら、小道を歩きながら、鍋をのぞきこみながら、もしかしたら、この花々が私たちに気づかせてくれるのは、よろこびそのものではないのかと、そう思ったのです。この花々がたたえていたよろこびを、からだに取り入れたなら、自分の心に、からだに、どのように響くのだろう、このコーディアルはそんなふうに感じながら、つくったのでした。

できあがったコーディアルは、コップ1杯の水にスプーンひとさじ分落として飲むのが気に入っています。すこしラムが香るので、お酒に弱い方はほんの数滴でも。夕暮れ時に、スプーン3杯ほどを発泡水で割ったなら、カクテルのようにも楽しめるとおもいます。気が向いたなら、すこしだけ、お風呂にいれても。コーディアル、という飲み物の名前はついているものの、使い方はまるで自由です。

出先でふと目にした文章に、すみれは「誠実さ」をあらわす、と書いてありました。「誠実さ」は自分が他人に対して「誠実である」こと、と理解しがちですが、もしかしたら、「自分が自分に対して、誠実に生きること」と考えることもできるのではないかと思いました。それは、つまり、「自分の心の願うように生きること」なのかもしれない、と。

日がかたむいてきたので、今宵は花のカクテル、を楽しもうと思います。
 

本日の、紙と文字

息子の学校で、読み聞かせをした(全家庭ご協力ください、という強気の依頼!)。後日、「読み聞かせの活動紹介」を文化祭でうするので感想を書いてください、とのお便りがあった。

読んだ本:「この世界にようこそ」広瀬裕子著
読み聞かせをしてみての感想など:

 少し大人っぽい部分もある絵本を選びました。こどもらしさ、やわかりやすさ、よい、わるい、といったところから少しはなれた雰囲気を持つ本です。こどもたちは、静かな気持ちで聞いてくれたように感じました。
 色々なおとなが選んだ、色々な本、にこどもたち ―未来の大人たち― が出会うことは、種まきのようなものだと、そう感じました。
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 実のところ、もうひとつ読みたかった本があった。矢作多門著の「偶然の装丁家」。すばらしい本で、世のこどもたちに(あるいはかつてこどもだったおとなたち)に、ぜひとも読んでもらいたいと思っているのですが、学校で読む...となると難しい部分もあってあきらめたのです。

 学校のなかでも、「学校には行かなくってもぜんぜん大丈夫」と言えるような風通しのよさがあるといいなあ。
 


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 大木製作所のからまんピンチハンガーを使い始めてから10年が経つ。途中洗濯ばさみが壊れたりもしたのだが、常に修理可能で洗濯ばさみだけでも取り寄せて自分でつけられるのが、ほんとうにすばらしい。

 前回の修理から5年ほどたって、いろいろと不具合がでてきたので、部品の取り寄せの電話をしたら、「お代金と送料を先に切手でお送りいただけますでしょうか?」とのこと。

 切手で前納....!いまどき、すごいです。この精神が長期にわたるアフターケアの土台になっているような気がして、爽快感すら感じたのでした。アフターケアーといえばカタログハウスの対応の質には、他の追随を許さないすばらしさがあります。電話対応も軽やかに爽やかで迅速、対応しているひとの理解度も高く、機転も利いてます。働くひとにとってもきっといい会社なんだなー、と思いました。

切手を送るのに、同封したメモ:
「大木製作所さま からまんピンチハンガーを、もう10年もつかっています。つかいやすく、デザインも好ましく、なにより修理が可能なのがありがたいです。よいものを大切に長くつかう、ということは人生におけるよろこびのひとつだと思います。ありがとうございます。3040円分の切手を同封しますので、ご査収ください」



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 夏に葉山の実家で、朝日新聞で夏目漱石の「それから」が連載されているのを目にして、毎日こころおどる読書体験をした(週末はおやすみで、がっかりしたのだが、楽しみ感をそそる、そのシステムすらすばらしい....)。高知に帰って来てからも、母に切りぬいて送ってもらっていた。

 そうか、漱石の作品は新聞小説だったのだ。こういう風に、毎朝新聞を取ってきて読まれていたのだ。江藤淳先生がくちをすっぱくして「漱石は小説記者だったのです」とおっしゃった意味が、18年もたって、ようやくわかった気がした。

 その日の分を読み終わったときに、このさきどうなるのだろう、と思うこと自体が新聞小説の醍醐味なのだ(もちろんそう思わせる筆力がなければならない)。朝起きることがたのしみになるし、、勤め人にとって(おそらく)憂鬱な月曜日の朝を、土日と休みだった小説の続きが読める特別な「たのしみな月曜日の朝」として機能させるという目的があったかどうかはわからないが、とにかく漱石を105年前当時の状態のままに読める幸せ!
 
 「それから」が終わったら「門」が掲載されるという。「それから」は一番好きな作品だが、「門」は読んだことがないけれど、わりあいに退屈な印象....だが、一日づつ読んだらまた違う世界がひろがっているに違いない。

 今日、母から9回分までの切り抜きが郵便で届いた。毎日、1日分づつ読むつもり。ほんとうは漱石の小説が掲載されている間だけ朝日新聞をとろうとおもったのだけれど(それだけの価値が十二分にある)、夫に却下されたのでした。
母に、感謝。


京都での日々 2

 山は、すっかり秋めいてきて、朝は特に冷え込みます。また、朝早く目覚めました。朝の時間は特別です。なにか、こうマジカルな感じがするのです。

 早朝に作業をすると、自然に何かが湧きあがってくるような気がします。それは前からなんとなく感じていたのですが、早起きはなかなかどうしてむずかしく、でも、できるときにはなんの努力もせずにできるようになるのかもしれません。早起きして、これがしたい、という無意識の強い思いがそれを実現させるのかも、と思う朝です。

 ウールのうすい上着を羽織って、ゆたんぽをつくって、膝の上においたり、腰のうしろをあたためたり、足元に置いて足をのせると冷えません。
 ゆたんぽ、はこの世でもっとも好きなもののひとつです。

 「もっとも好きなもの」は数えきれないほどあるのですが....いつか部門別にまとめて眺めたらたのしかろうとおもいます。こういう作業はすごく好きです。
 たとえば、いまから思いついた順に10個「もっとも好きなもの」を書いてみよう、はじまりは「湯たんぽ」にして、とか。

 湯たんぽ、誰かに入れてもらったお茶、ロールケーキ(昨夜2切れ食べた。雄一郎さん作、栗入り)、カレー蕎麦、朝の時間、朝のひかり、朝の空気、清潔なおふとん、よく干したノスタルジックな匂いのするおふとんとそこでする昼寝、いい匂いのするおんなのひと

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<募集!>「もっとも好きなもの思いつくままに10個」をお寄せください。(わたしの好きなものベスト10、ではなくて、おもいつくままに...というのがポイントです!練習も、下書きもなし、のよーいドン!でおねがいします)
先着2名さまに「あなたのもっとも好きなもの」をイメージしてあわせた野草茶をお送りします。宛先→ asako51アットgmail.com (アットを@に変えてください)お名前とご住所もお忘れなく!

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 そういえば、村上春樹も創作は早朝から午前中にかけてしかしないと読んだことがあります(翻訳などの「楽しみ」は午後にやるそう)。
 新刊の「職業としての 小説家」があまりにすばらしく、帰りの高速バスの中で読みながら、圧倒的な希望を感じたのでした。この時代に、このひとがいて、リアルタイムで作品を目に出来るということはなんと幸運なことか!それがたったの1600円だか1800円で....。

 本は図書館や人から借りたり、文庫本になったのを買ったり、も素敵にたのしいのですが(わたしもよくします)、ここのところは「身銭を切る」ということが響いています。

 「身銭を切る」とそれが自分に取り込まれる、余すことなく滋養になる、という感覚です。それは、買ったそのもの、にとどまらず、「買うという体験とつづくその後」まで含まれています。「買おうか買うまいか、どうしよう」というせめぎ合いとか、「是が非でも」という思いとか、あるいは「そうしようとは思っていなかったけど、この流れのなかでは...」とか。

 "What you eat is what you are" (あなたが食べるものがあなたなのです、とでも訳すのかな)という言葉がありますが、買い物に関してもそういう風に言えるかもしれません。「あなたの買うもの、買い方、どこで、だれから、どんなふうに、ということすべてがあなたそのものなのです」。まあ、いつもそう難しく考えて買い物しているわけでもないのですが、ことばにするとこういう感じです。

 そしてこうも思うのです。自分の心に添った買い物をすると、願った自分ー心地よい自分になれるー のかもしれない、と。それは「安い」とか「高い」とか「とりあえず」とはすこし離れた場所にあるかもしれません(そういう基準で買い物してはいけない、ということではなくて、もうひとつのありかたとして、ということです)。
 
 私のこととして話せば、「払ったときの気持ちよさとか自由な感じとか可能性とかつらなりとか」を感じたいがためにそこでお金を使っている(使わせてもらっている)という向きもあるような気がします。いつもそんな風に理屈っぽく考えて買い物をしているわけではないのですが、(これも「ことばにするとこういう感じ」)お金って、そういった意味ですごく可能性をもったツールだと思うのです。

 お金すごい発明なので、そのポテンシャル(潜在能力)を最大限にいかした買い物人生を生き抜きたい!そんな風におもうのです。

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 すこし話がそれてしまいましたが、「職業としての小説家」は、バスの出発を待つ時間に京都駅の本屋で買ったのでした。ここのところ、一番読みたかった本で、だからこそ、一番のタイミングで手に入れたかったのだと思います。

 ほしいものほどなかなか買えない....買い物は、「どんなタイミングで」というところに醍醐味があるから、「ほしいから買いに行く」というのはちょっとつまらない、かえってチャンス(どんなチャンスだろう??)を逸してしまうような気もするのです。

 今回、たまたま本屋さんをみつけて、入った瞬間に啓示のように(大仰ですね)、こう思ったのです。「カレー屋さんをやっていただいたあのお金で買おう」そう思ったら、二日の間になやカフェの空間で出会ったひとたちの顔がつぎつぎと浮かんできて、レジで本を受け取るときには「あのひとたちに買ってもらった本なんだ!」という思いに変わっていました。カレーが村上春樹の文章に...なんだかひどくおこがましいような気がしましたが、「そういうことも、ありうる」人生は、ほんとうにすごい、と感じたのでした。

 今回のバス代も、なつかしい思いで買ったパンも、大好きなカレーそばも、静謐な空間でいただいたお茶とお菓子と音楽も、信頼している鍼灸師さんのところで受けた施術も、マリーゴールド染めの靴下も、こどもたちへのおみやげも、みんなあの人たちからいただいたお金で手にすることができたんだ、とおもうとやっぱりこう思わずにはいられないのです。
人生はあまりに奇跡じみていて、わたしはそれを感じるためにこのからだをもって、この星に生まれてきたのだ、と。

 なやカフェでの2日間のカレーやさんについて書こうとおもったら、すっかり「お買いものばなし」に終始してしまいました。

 そうそう、買い物、とか、お金、にはその先があるのです。ご縁、といただきもの。その両方のある生活がいいなあ、と思います。それぞれの持ち味、というものがあるからどちらが優れているともいえないと思います。

 いただきもの、といえば京都から高知の山にもどった翌日に、集落の方に巨大な鯉(!)をいただきました。生きてました。うろこ一枚が50円玉くらいの大きさでした。

 山をおりて、スーパーの鮮魚部門でさばいてもらって(手数料はなんと一尾100円!さば一尾でも、巨大な鯉でも一律100円....シュールですらあります)、西インドのゴア地方のココナッツベースのフィッシュカレーをつくりました。鯉のむっちりとした身と、ゼラチン質の皮がカレーに合っていて、よく言われる「泥臭さ」のようなものも、にんにくしょうが柑橘果汁とスパイスでなんのその。おいしかった!これからきっと、鯉と聞いたら条件反射的に「フィッシュカレー!」と思うでしょう。お鍋いっぱいにつくって(なにしろ4キロの鯉です)、なやカフェのお客さんに食べてもらいたいなー、と思ったのでした。

つづく
 

名刺づくり

食まわりの活動をはじめてから、9年。新しい方にお会いするたびに「お渡しする名刺やカードがあったらいいな」と思いながらも、そのつど手元にあった紙などに名前と連絡先を書きつけてお渡しする、という非効率的なことを続けてきました。名刺、というと、活動や肩書きがきっちりと決まっているひとが持つもの、という気がして、そもそもわたしたちはいつでも現在進行形で「模索中」、なんとなく、その領域に踏み入ることができないような気がしていたのです。

ここ数日、これからの仕事、生き方をどうするか考え中の友人が滞在していました。ひょんなことから、いま、それぞれの肩書きを決めてみよう、という話になりました。友人のY君は「旅行家・○○」。○○、はお渡しするときに書き加えるそうです(翻訳家、手相見、音楽家、トレーダー、中国茶...など)。
夫は、「おやつ製作+その他いろいろ」。その他いろいろ、には冊子作り、翻訳、お茶作り、ワークショップ、そして将来的にはゲストハウス!が入るそうです。そして私は、小包発送、お茶あわせ、料理、など。三人ともお茶が関係しているのが面白いと思いました。

そしてその勢いで、いよいよ名刺を作ることに!
実は、はじめての名刺は活版印刷で....と思っていたのですが、冊子と同様、家庭用プリンターで印刷して切っただけ、というごく簡単な方法で作りました。
「自分のはたらきかた」のビジョンを熱心に考えて、文字にして、紙にうつして、ひとに手渡すと、それだけでなにかが、大きな流れのなかで実現される、そんな気がします。
気づけば今日は満月、なんとなく、もろもろのことが「満ちた」、そんな日なのかとも、思います。


夫・服部雄一郎の名刺。
「おやつ製作+その他いろいろ ロータスグラノーラ 服部雄一郎」



私(服部麻子)の名刺。6種類(!)あります。

 

高知で迎えた新年

高知ではじめての新年を迎えました。全国のみなさまの応援で、みかんプロジェクトも絶好調。お陰様で、開始から3週間あまりで、ほぼ1トンが全国各地にめでたく旅立っています。年末は、発送の傍ら、近所の方の育てた無農薬もち米で2回も餅つきをしたり、同じく近所の方がしとめた猪の解体を生まれて初めて見学させていただき、山ほどの骨付き猪肉を分けていただいたり。山の風情ある冬を過ごしていました。

いちばん驚いたのは、この辺りでは、おせち料理を作りもしないし、食べもしないのだとか。地区の新年会で出るご馳走も、いわゆるおせち料理ではなく、高知の定番「皿鉢(さわち)料理」!

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このド迫力の海鮮づくし!刺身なんて、ほとんどぶつ切りです!こういう宴会の料理って、なかなかおいしい記憶がないものですが、さすがは食の王国高知。隣町のスーパーの仕出しというのが嘘のように、新鮮でおいしい魚を元旦から堪能しました。帰宅後は、猪汁仕立てのお雑煮を。何年もベジ生活をしていた我が家にとっては、革命的なお正月でした。

山の暮らしでは、だれもが普通に野菜を育て、米を育て、家の修繕をして、炭焼きをして…、町では考えられないほどたくさんの生活の術がまだ脈々と息づいています。お正月のお飾りも、近所の方に教えていただき、初めて自分で作ることができました。

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みかんプロジェクトもいよいよ終盤にさしかかっていきます。たくさんの方からすばらしいご感想や、たのしい食べ方をおしえていただいているので、近日中にまたご紹介したいと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

太陽で焼くお菓子

引っ越しから5週間が過ぎ、生活も徐々に整ってきました。家中のひどいカビも鎮静化し、朽ちた床下を直して床を貼り、壁や天井を白く塗り、詰まっていた裏の小川を復活させ、雨どいを掃除し、敷地内の大量の粗大ごみを廃棄し、日当たりを妨げていた伸び放題の木をめった切りにし、畑を開墾し、野菜を育てはじめました。

家の改修のハイライト、床張り。地元・土佐山アカデミーのお陰で、かねてより興味をもっていた「ナリワイ」&「全国床張り協会」の伊藤洋志さんにワークショップ形式で床張りをしていただきました。何たる幸運!

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日に日に変化していく家の姿を、近所の人たちが興味津々で覗きに来て応援してくれます。どの方もご自分の畑を持っていて、わっと息をのむような手土産をいただくこともしばしば。先日は、卒倒するほど美味な自家栽培のヒラタケを大量に頂戴しました。余った分は、贅沢に天日干しにしたら、干し椎茸にまさるとも劣らないすばらしい干しきのこができあがりました。

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まだまだ落ち着かない生活ながらも、高知の豊かな食材に囲まれて(四方竹、チャーテ、イタドリ、土佐豆腐、天日塩etc. etc. )、日々のご飯は相当にたのしめています。そして、高知の燦々と照る太陽の光を使って、お菓子も、オーブンではなく、太陽の光で焼き始めました。

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アメリカ製のサンオーブン。太陽の光を銀の反射板で箱の中に集めるだけのシンプルな作りですが、箱の中は150〜180度くらいを保ってくれます。電気も火も使わずにお菓子が焼けるとは、まるで魔法のよう。しかも、さすがアメリカ製。ユーザーフレンドリーでとても使いやすく作られています。

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土佐山のしょうがをたっぷり使ったスパイスブレッド。焼き色もついてくれて、とてもよい仕上がりです。グラノーラも、クッキーも、いい感じに焼き上がります。まさに天の恵みをそのままいただいているようで、「これぞ自分の思い描いていたお菓子作りの形!」と興奮ぎみです。

これからはこのサンオーブンを自分のメイン・オーブンにしたいと思うほど惚れ込んでいる自分ですが、サンオーブンの唯一の問題は、快晴でないと使えないということ。そして、180度以上の高温にはならないことです。特にパンの場合は、「発酵が終わったのに、曇っていて焼けない〜」では困るので、前から欲しかった業務用のガスオーブンも買うことにしました。来週ガス屋さんが来て接続してくれる予定で、こちらもとてもたのしみです。もう少し余裕が出てきたら、石釜も作って、「火で焼くパンやお菓子」にも挑戦したいと思っているのですが、、、まだ自分たちが暖を取るための薪ストーブの準備さえも追いついていない状況で、こちらはもう少し先になりそうです。


そして、オーブンを使わないお菓子作りのもうひとつの形と言えば、ローフード。なるべく電気に頼らない生活に移行したいベクトルに逆行するようですが、ここぞとばかりに念願のバイタミックスを購入。ローチョコレートのスイーツや、地元の柑橘やフレッシュな野菜を使ったグリーンスムージーのおいしさに、世界が変わりそうな毎日を送っている我が家です。

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やっとお菓子作りの準備も整ってきて、来週あたりにはお届け便再開のお知らせをアップしたいと思っています。高知の秋の食材、そして、お菓子は、天候に恵まれればもちろんサンオーブンで焼いたものをお届けしたいと思っています。あと1週間ほど、何が入れられそうか、たのしみながら考えたいと思います。

新生活

高知の土佐山に引っ越して、早2週間。あらゆる予想を上回る事態の連続に、既に1年を過ごしたかのような目まぐるしくビビッドな日々を送っています。

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激動の日々の最初のサインは、引っ越しの数日前。借家を紹介してくださった地元の方から、「家を開けてみたら、カビがひどくて、すぐには住めないと思うので、しばらく公民館に泊まってください」との電話。もともと大家さんが「こんな傷んだ家は貸せない」と渋るのを、「どうかお願いします」と無理を言って借りた家なので、いろいろ不都合があるのは承知の上だったけれど、8月に降った40年ぶりの豪雨もあり、閉めきっていた室内の劣化が予想以上に進んでしまったらしい。


―そんなわけで、高知での記念すべき第一歩は、公民館での避難所的生活という、いかにも我が家らしい劇的なスタート。引っ越し屋さんにお願いした翌日到着の荷物も、家に入れるに入れられず、すべてガレージに押し込み(サカイさん、さぞや驚いたことだろう)、まずはかびていた畳をすべて外し、ひたすら家じゅうの汚れとカビを掃き、拭き、こすり、掃き、拭き、こする。床もかなり朽ちていて、歩くといきなり陥没して穴が開く箇所が複数。家のゆがみからか、ふすまや建具はびくとも動かず、やっとの思いで動かしてみれば、下はシロアリに食われてボロボロだったり、黒カビがびっしり生えた窓ガラスを丸洗いしようと無理やり外したら、バリンと割れて足に刺さって驚いたり、自然の王国と化した台所の床をサワガニが何匹も横歩きしていたり…。
 
その間、やれハサミがない、ガムテープがない、明日から子どもの学校や保育園が始まるのに筆箱や上履きが見つからない、名前ペンがなくて持ち物に名前が書けない…と、出せない山積み段ボールの中から数限りない探し物をするためにガレージと家を何十往復し、いきなり待ったなしとなった床張りや壁塗りのリサーチと段取りも進め、2日に1度はご近所の家に押しかけて5人分のお風呂と洗濯をさせていただき、いつまでも公民館を占拠しているわけにもいかないので、剥き出しになった床なき床の上にブルーシートを敷いて、赤ん坊もろとも、とにもかくにも新居に入居したのが5日目のこと。
 
インドに引っ越した時以上にタフな幕開けは、しかし、地元の人たちのこれまた予想を上回るあたたかさに包まれて、たのしさと幸せ満載の日々となっている。到着したその日に招待された夕食の食卓の豪華さとあたたかさ。清流で生け捕りにした新鮮な蟹の味と豪快な姿は一生忘れられない。次々に声をかけてくれる近所の人たちのやさしい歓迎の言葉。大先輩の移住者家族の素敵すぎる暮らしぶり。いきなり車のガソリンを切らしてしまって困っていたら、近くのおじさんが手持ちのガソリンを分けてくれたり、直売で栗を買おうとしたら、レジのおばちゃんが「こっちに栗あるから、それは棚に戻しとき」と山盛りの栗をプレゼントしてくれたり。家財道具も次々に、「冷蔵庫持ってく?」「二段ベッドいる?」「使ってない薪ストーブがあるよ」「倉庫に眠ってる畳、譲ってあげますよ」とどんどん充実し、京都から持ってきたコンポストトイレも無事稼働し(そう、トイレも壊れていて使えないことが分かっていたので、引っ越し前に頑張って手作りして家宝よろしく運んできたのだ)、かと思えば、地元の方が大豆から無農薬無化学肥料で育てたという正真正銘の手作り豆腐を届けてくださったり、床下が予想以上に朽ちていて途方に暮れていたら、近くに住むご高齢の大工さんが来て、仲間の大工さんと一緒に何とかしてくれる話がまとまって天を拝んだり、家の裏の淀んだ沼が、はじっこに詰まっていた石をどけたら一気に流れ出して小川に変身して驚いたり、地域の方が地産地消のすばらしいオーガニック生協をされていることが分かり、買い物の不安が完全に解消されたり。美味しい湧水の在り処を教えてもらったり、地区の草刈りに参加したり、早くも親しい友人家族が遠路はるばる遊びに来てくれ、こんな避難所のような住空間に招き入れたにも関わらず、ちゃんと土佐山の良さを受け止めてくれ、いきなり移住を決意してくれて狂喜したり…。
 
今日もブルーシート暮らしは続くけれど、計画では、数週間のうちに壁は純白の土佐漆喰に、床はすがすがしい県産の杉材に早変わりし、奥の納戸に台所を増設して営業許可も取り、明るく快適な新居が実現する予定…です。
 
それに伴い、お届け便も近々再開したいと思っています。とは言え、まだ肝心のオーブンがないのですが、逆にちゃんとしたオーブンがない今だからこそできることというのもあって、たとえば庭のロケットストーブでタルトを焼いてみたら、スモークしたような魅力的な香ばしさがあったり、ソーラークッカーでふっくらとした蒸しケーキが焼けたり、せんべい缶で作った簡易オーブンでグラノーラを焼いてみたり…と、まったく新しいことに(必然の中から)挑戦できています。そんな「今だけの高知新生活ご挨拶スペシャル便」を、若干数、近々ご案内させていただきたいと思っていますが、きちんと準備が整うまでにもうしばらく時間がかかりそうです。月をまたがずにご案内できることを目指して、引き続き、激動の日々を駆け抜けます。



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