最近の朝市野菜便の様子

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朝市野菜便(3/18)

 

 6日間の神奈川出張から戻ってきました。逗子・葉山で内容の異なる、いずれもはじめてのイベントをしたので、出発前はたいそう緊張していたのですが、終わってみるといずれの日も忘れ難い瞬間に満ちていて、すべてが終わったいま、ほっとすると同時に、夢見ていたような気持ちがします。


 まだ外国からの旅の手段が船だった頃、遠く英国から日本にやってきた故アンさんと次郎さんの住まいと、調度や食器をお借りしての朝食会をひらきました。高知から持ってきた食材でこしらえた、野菜のスープにサラダ、それから焼きたてのオムレツ。友人が作ってくれたうす甘いソーダブレッドとともに、はじめましてのひとびとがひとつの部屋に集ったのでした。わたしはお客さんの足にオムレツを落としてしまったり、自己紹介に40分(!)もかけてしまったり、予定調和とはほど遠い朝の時間でしたが、それでも初めての試みが祝福されたように感じられて、やはり朝の時間はすばらしい、と思ったのでした。

 

 2日目は、ちいさなセレクトブックショップでのバー。お昼にカレーをお出しして、それからワインとおつまみ、イタリア風だったりインド風だったりする軽食をご用意しました。つぎつぎにいらっしゃるお客さんとの「はじめまして」や「久しぶり!」、「まさか会えるなんて」。あまりに興奮してしまって普段は1−2杯、多くて3杯しか飲まないワインを、どんどん飲んだところ、すっかり酔ってしまい、酔ったのなんて、何年ぶりだろう、と新鮮な気持ちを味わいました。日が暮れて、片付けを終えて外にでて空を見上げたら、大きな満月に見下ろされていて、そうだ、今日は満月だったのだ、だからすべてのことが魔法じみていたのだ、と思ったのでした。


 3日目はサンドイッチのワークショップ。いちばん好きな食べ物がサンドイッチなので、まずはその熱い想いを30分で語りつくし、それから寿司屋のカウンターよろしくお客さんの目の前でサンドイッチをつくっては4等分してお皿にのせて、を繰り返し、気づけばいらした方のおなかは6種類のサンドイッチでいっぱいになっていました。まずは人参のラぺとフムス、たっぷりレタスのサンドイッチ、次はひじきとアーモンド、舞茸のマリネとポテトマサラ、つづいてパコラ(インドの揚げ物)とアチャール(インドの漬物)のサンドイッチ、オムレツとひよこ豆のカレーのサンドイッチ...と即興で作り続ける時間のその高揚感を言葉であらわすなら、きっと「いま、この瞬間」。これまでは「料理のひと」として細々と活動をつづけてきたのですが、これからは「おしゃべりとごはん」の気分で、場と人と、そこに流れるなにがしかのエネルギーと出会い続けたい、帰りの飛行機の中で、やぶれかぶれだった完璧な3日間を思い返しながら、そう思ったのでした。

 

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菜の花
グリーンリーフまたはサニーレタス
ベビーリーフ
紅苔菜(コウタイサイ)
人参 
葉にんにく
葉たまねぎ
文旦
黄金柑
小夏
八朔


朝市野菜便(2/25)

 直売所にでかけたら、ちょうど八朔を入荷にきた年配のご夫婦がいらっしゃいました。「この機会逃さじ!」とばかりにさささ…と寄っていって「この八朔、皮を使いたいんですけれど消毒(農薬のことをこのあたりではこう言います)はしてますか?」と聞いてみました。「せんせん!(しないしない!)あたしは消毒に弱いから...若いころ消毒で命をおとしかけて、ようやっと命びろいして。だからつかわんよ。肥料も米ぬかだけ。鶏糞もつかわん。ちょっと他より値は張るかもしれんけど、甘くなってきておいしいよ」と教えてくださいました。「なかなか生産方法を聞ける機会がないので、よかったです」と私が何袋も籠にいれたところ、帰りがけに「これ、あたしからのほんのきもち」とにこにこしながら生姜をひと袋くださったのでした。その八朔、家に帰って食べてみたら、みずみずしくて本当においしく、袋に貼ってある生産者さんの名前を忘れないようにとノートに書きつけました。


 その前の日は山の上に住む服つくりをしている方が、「これね、いっぱいいただいちゃって。無農薬だから皮も使えるよ〜」とごみ袋(!)いっぱいの文旦を持ってきてくださいました。しばらく文旦を切らしていたので、さっそく家族でもくもくと剥いては口にほうりこみ、今日ばかりは「好きなだけたべていいよ!」とさながら「文旦祭り」。皮は丁寧にとっておいて、ほどなくしてピールづくりの仕込みがはじまりました。柑橘の皮は、手間はかかるけれどマーマレードやピールにして、パンにつけたり、ケーキに焼きこんだり、チョコレートがけにしたりとほんとうに魅力的な材料なのです。


 直売所には毎日いろいろな野菜や果物が並びますが、ときどきおもしろいことに遭遇します。ちょうど居合わせた生産者さんから、やはり「農薬不使用」と聞いて喜び勇んで持ち帰ってきた「レモン」。袋をあけてみたらひとつだけレモンではない形のものがあるのです。不思議におもって、皮にキズをつけて匂いを確認してみたところ、「???」、念のため切ってみて味をみたら「これ、レモンじゃない!」。味は小夏に近く、でも見かけはたしかにレモン...きっと意図せず交配してしまったのでしょう。レモンの形をしたのもすべて同じ味でした。野菜便にもひとつづつお入れしたいと思っていたので、「気づいてよかった!」と胸をなでおろしたことでした。ほかにも、ビーツが「ピーツ」と表記されていたり(きっとおじいさんが山奥で「めずらしい西洋野菜」の種を蒔いてみたのです)。八朔をたくさん買おうとしたら、近くにいたおばあさんに「こんな酸いの、このごろはだれも食べんろう(食べないでしょう)」と声をかけられたり。暮らしの近くで、ちいさなドラマがいくつも起こっているような、異国にいるようなたのしき日々です。

 

 

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菜の花
春菊
きゃべつ
サラダリーフ
冬にんじん
葉にんにく
高菜
文旦
八朔


朝市野菜便(2/18)

 

 おもいがけないもの、はいつだってすてきです。なんの気なしに覗いたポストの中にみつけた私信、配達員さんが手渡してくれる小包、よく出向くカフェでの偶然の再会、直売所にならぶふきのとうにクレソン、あるいは曇り空の日に家族の入れてくれた熱い紅茶。


 今週はどんなことが起こるだろう、としょっちゅう思っています。来月には何が待っているのだろう、そして今年はどんな一年になるのだろう、とも。振り返ってみると、どの年だって「まさかこんなことになるとは思わなかった」ということで埋め尽くされていて、予定やつもりや準備はほとんど役に立たない、との感が毎年強まるばかり。大幅な予定変更や当てがはずれることは日常茶飯事、逆に「自分たちの意志では到底たどりつけなかった」と思われるほどの幸運に恵まれることも少なくありません。今週末、どうやって過ごすかもその日になるまで見当がつかず(子どもたちの体調、おとなの気分、突然に降ってくるできごとなど予測ができない)、ならば「予定は未定」をスタンダードにしてしまおう。もっと言ったら「予定外は想定内」、「わからない、ということだけがわかっている」。


 ある晴れた日の午前中、真冬には似つかわしくない強い日差しの下で畑を開墾していましたら、「“思いがけないこと”はもしかしたら畑仕事に重なるのかもしれない」と思ったのでした。一生懸命耕して、祈るような気持ちで種まきして、じょうろで水を撒いて。でもその畝からはいつまでたっても芽が出ない。たくさん収穫しようとはずむ気持ちで植えた100個のじゃがいもも雨降りの多い気候のせいで不作。一年分のにんにくと玉ねぎを!と意気込んで作業した一角に目をやれば、ひょろひょろとした葉がいかにも弱々しい様子で並んでいるばかり。一方取り残しの人参がずいぶんと大きくなっていたり、植えたつもりのない里芋やじゃがいもが威勢よく育ち、おそらくは知らぬ間にこぼれた小松菜の種から元気いっぱいの葉が伸びていたり。さらには、あきらめかけていた苗が突然勢いよく成長することもあって、こちらの思惑や都合や望みはおかまいなし、もちろん経験をつむことによって「畑上手」になることは十分に可能だとおもうけれど、この「先が読めない畑」のありようが、多くの大事なことを長い時間をかけて教えてくれるような気もして、これからも気持ちのおもむくままに、耕したり、種まきしたり、がっかりしたり、喜んだりしてみよう、と思ったのでした。予定通りにいかない日々は、もしかしたら「おもいがけず届く小包」なのかもしれません。ひらいてみたら、大きなろうそくや、バターケーキや、心にすう、と届くことばのつらなりがまぶしいひかりとともに詰められているのだと思うのです。

 

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ふきのとう
菜の花
ターサイ
サラダリーフ
葉にんにく
ちんげん菜
文旦
八朔
レモン

 


朝市野菜便(2/4)

 あたらしい年になったと思ったら、瞬く間に2月。立春が過ぎ、まだまだ寒い日がつづきますが、時折、ほんの瞬間のことですが、ひかりの感じやにおいが春を含んでいることに気付いて、あたらしい物語がはじまるような、ささやかなよきことが立て続けに起きそうな、そんな気持ちになります。

 

 ここのところ、思いがけないいただきものをすることが多く、ざっと思い出しただけでも、生みたての地鶏のたまご72個(!)、八朔をひとかかえ、また別のひとから八朔と金柑、人参とケールときゃべつ、パルミジャーノチーズにコーヒーそれから枝付きレーズン(これは鎌倉から来た友からのおみやげ)、自家製のそば粉、うつくしい椅子を3客、….ともしかしたら今年の運をすべて使ってしまったのでは…!と思ってしまうほどでした。現代はなんでもお金で買うことに慣れてしまっていて(というかそれいがいのオプションがほとんどない)、だからこそ、こんなふうに自分の意思を超えたところで、ひとの好意にのせられておいしいものや役立つものや欲しかったものが届くのが、魔法のようだと感じられたのでした。逆に今年になってから手渡したのは廃車になる運命だった我が家の軽自動車。譲り受けてくれた人は「こんな状態のいい車をもらえるなんて!」とひどく喜んでくださり、つまりはこれまでそのくらい大変な状態の車に乗り続けている、聞けば修理も自分たちでしてしまうようなタフなカップルで、「この車、最後まで乗り切るからね〜!」と笑顔とともにさわやかに走り去って行ったのでした(そして「お礼に」と2キロほどある沖縄の巨大なイカをいただいた...イカと車の交換…!)。


 ここのところ、我が家は魚づいていて、それというのもすばらしい魚屋さんを発見したから。早めに行かないとめぼしいものはなくなってしまうので、午前中に行くのが大事。今日は、あじとぶりのお刺身(すこぶる美味、そして一切れが普通の3倍くらいの大きさ)、鍋用のふぐ(生まれて初めて!)、しめさば(魚屋さんが作った玄人仕上がり)、シイラの卵(生姜一緒に甘辛く炊くらしい)、それから沖うるめの一夜干し5匹、しめて2000円ちょっと。この鮮度、この質、この量で…!とこれもまた魔法のようだ、あるいは夢なのでは...と思ったのでした。


 魔法なのか、夢の中に生きているのか、あるいは単に感激しやすいたちなのか。なんだってかまわない、自分の目にとびこんでくる世界をそのままに、おどろきの気持ちで日々すごしてゆけたらと思うのです。

 

↑高知に来て、こんなふうに魚屋さんで買ってきたばかりのお刺身で

昼ごはんにすることが増えました。この日のトビウオも美味でした。

 

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菜の花
ターサイ
サラダリーフ
赤じゃがいも
高菜
にんじん
文旦
八朔
金柑
干し柿
赤目芋
さつまいも
ふきのとう


朝市野菜便(1/21)

 

 久しぶりにオーガニックマーケットに行ってきました。車で往復2時間かかるのと、近所におられるすばらしい生産者さんとの出会いもあって、すっかり足が遠のいていたのですが、マーケットのにぎやかで活気のあるたのしさを思い出して、毛糸のマフラーと帽子、靴下という心強い防具(!)を身にまとって、朝早く車を西へと走らせたのでした。

 

 いまは冬野菜のピーク、色とりどりの野菜が並ぶのを目にして、「やっぱり来てよかった」と興奮しながら野菜を眺める、その時間がやはりたのしくて、どんなものをお送りしようか、そうそう我が家の分も忘れずに、と持参した籠に赤ねぎやカリフラワー、にんじんなどをどんどん入れていると、となりのご婦人が「このきゃべつ、すごくおいしかった」なんて言っているのが耳に入って、わたしも!とひとつ抱えてみたり。それから今年はキムチづくりに目覚めたので、大き目の白菜をふたつ。いつも1種類か2種類しかない野菜をかわいらしく盆ざるに並べている大学生のような風情のお兄さんからからは「袋にはいっていないのがうれしい」と伝えつつ、かぶとふぞろいの人参を。そしてちいさなぼっちゃんと赤ちゃんを連れたにこやかなお母さんからはみずみずしいクレソンの束を。歩いて、足を止めて、じっと眺めて、質問もして、念入りに、けれども思い切って選ぶ。わたしはこういったことがほんとうに好きなのだ、とあらためて思ったのでした。


 マーケット唯一の干物屋さんではまばらにならぶ地味な魚たち。「このところ海が荒れて魚がとれなくって…」という話を伺いながら、自然相手の仕事はほんとうに大変だ、とうなずきながら並んでいる魚の説明を一通り聞いて、ここのところ魚の図鑑に夢中になっている息子(11才)が喜ぶかと、なまこ、うるめの丸干しと若干しを選び、今日の昼ごはん用にと鯖のみりん干の燻製を1枚。帰ってきてからフライパンでさっと焼いて大根おろして柚子酢とお醤油で食べたらたいそうおいしく、果てしなくしあわせな気持ちになったのでした。

 

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菜の花
カリフラワー
クレソン
赤かぶ
いろいろ人参
赤ねぎ
レタス
ターサイ
レモン
八朔


朝市野菜便(1/14)

 

 あたらしい年がはじまりました。今年はどんな風になるのだろう、と考えるときに思うのは、「流れを大切に」「起きることの意味に気づけるように」そして「日々うれしく生活できますように」。

 

 去年、私のまわりでは、大変な時間を過ごした方が多かったように思います。思いがけない出来事や心身の不調、そして別れのかなしみの中におられた方も。それぞれに与えられた形は違っても、「生きてゆくこと」を問うような、大きなテーマに向き合うための時間だったのかもしれない、と思いを巡らせています。かくいう私もなかなかに困難な1年を過ごし、去年一年間を振り返る余裕ができてきたいま、家族をはじめ、たくさんの人の支えがあってこその今の私がある、と深く頭を垂れる思いです。そんな中、細々とですが、朝市野菜便をうれしく続けてこられたことが私にとっては大きな心の支えとなっていました。はじめましての方も、長くつながってくださっている方も、こころより、ありがとうございます。そして今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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菜の花
原木しいたけ
クレソン
里芋
黄色い人参
ちんげん菜
春菊
ねぎ
レタス 
金柑
ターサイ
白菜
レモン
小松菜


朝市野菜便(12/3)

 

 すっかり冬になりました。そして日々年末へと近づいてゆきます。


 わが家はクリスマスもお正月も、わりあい簡素に過ごすのですが、こどもたちはクリスマスを楽しみにしているしおせち料理を数品とお雑煮は食べたい、それにできれば年賀状も書きたい。そんなことを考えているのですが、目下みかん出荷の真っ最中、作業が終わってすっかりくたびれた夕方に待っているのは「おなかすいた、おなかすいた!」とつばめのようにおなかをすかせたこどもたち。「とりあえずみかん食べて!」とその場をしのぎ、家にある野菜をとにかく全部きざんで炒めて、お湯を入れて、ラーメンスープを入れてみそを溶いて、ゆでた麺を投入した鍋ごとテーブルに乗せて、それで夕ご飯、ということも。

 

 ゆっくりスープをつくったり、おでんを仕込んだりしたいなあ、と思いながらもやるべきことが目の前にあるということ、それをなんとかやり切った後に体力がついたように感じることには、やはり得難い充実感があり、「どうか手と足使えて、目が見えて、元気で働けますように」と願うのでした。「それから家族が元気でいられますように」とも。みかんは無事初回の400キロを発送することができました。今週はみかんとすごす日々が長くなりそうです。

 

 家にいられる日、ことに天気の良い日は畑ですごすのがなによりうれしい時間です。あわただしさにとりまぎれて白菜やねぎを植えられなかったことを悔やんだり、豆はまだ苗が売っているだろうか、と思ったり。あちこちにばらまいた小松菜の種がずいぶんと育って、葉をぐんぐん伸ばしています。チャーテは最後の収穫。生まれてはじめての人参の間引き。じゃがいもはいつ掘ったらいいのだろうか...と悩んだり。どれもあまりにささやかなことですが、太陽のひかりを暑いくらいに感じながら、つらなる山々を眺めながら、ぼんやりと過ごすことで、くたびれた体やこころがそうと気づかせないくらいのスピードで、力を取り戻してゆくように思うのです。


 あともうひとつ、夜のお風呂。電気は全部消してしまってろうそくの火でお風呂にはいると目と頭が休まります。あれもこれもと慌ただしい一日を終えて、そのモードから切り替わるのが難しいときに、闇とひかりのコントラストを眺めていると、ただそこにいることの気持ちよさが波紋のように広がってゆきます。

 

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菜花
黄色い人参
春菊
高菜
水菜
ねぎ
チャーテ
しょうが
グリーンリーフ
ゆずと直七


朝市野菜便(11/19)

 気温の変動が激しいせいか、家族で順繰りに風邪をひいてしまいました。なんとか体も動くし、まずまず食欲はある、そんなときに体がほしがるのは、ねぎ、しょうが、柑橘。あたたかい水分をたっぷりとりたいので、かりん蜜に直七の果汁をたくさん絞ってお湯で割って飲みました。

 

 風邪ひきにも、その予備軍(!)にもふさわしいのがスープ。大鍋にしょうがの千切りを100gほどよく炒めて、鶏の手羽先を焼き付け(手羽先は食べる部分が少なくてよいだしがでるので気に入っています)あれば白い根菜(かぶや大根)やチャーテ黒胡椒の粒に月桂樹、さいごにネギをあるだけ全部投入します(薬味の分をのこして、ためらわずに全部、です)。塩加減を見て、さいごに直七(レモンでもゆずでもすだちでも!)を少量絞り淹れると、気づかないほどに、けれどもあきらかな質の違いとしてさっぱりと仕上がります。

 

 台所に立てそうだったら、食べるときにフレッシュなねぎを細かにきざんだものや、おろししょうがをそえたり、ラー油をひとたらししても。スープだけをマグカップで飲んでもよいし。食欲があれば具だくさんにしてよそっても、冷ご飯があったらおじやに。わたしがこよなく愛しているのは、ひやむぎ入りのスープです。ひやむぎ(そうめんやうどんでも)をたくさんゆでておいて、水でしめて、スープに入れて煮その都度込みます。くったりと煮込んだこしのないあたたかな麺をたとえるならば、すべてを許してくれる寛容さあるいは酸辣湯風のスープでも。生姜の千切りをたくさんと、干しいたけのもどしたのの薄切りをよくよく炒めます。あれば人参の極細千切りも加えます。水を加えてひと煮たちさせて、木綿豆腐のさいの目にきったの、ねぎたっぷりを加え、火が入ったら溶き卵を流しいれます。ラー油と酢、こしょうを好みの味になるまで加えて仕上げます。好みで水溶きの葛を溶き入れてとろみを出します。これもやはり麺を入れて食べるのがおいしい。鶏のささみやひき肉をいれてもよいかもしれません。とにもかくにも、冬はスープなのだなあ、とおもったのでした。

 

 いつか鶏を飼って、朝うみたてのたまごを食べたい…と漠然と(しかし熱烈に)願っていたのがかなって、ご近所の方からにわとりを4羽譲っていただけることになりました。夫は、「僕、やっぱりこういうの苦手なんだ…お菓子つくる方が断然向いてる…」(グラノーラ、焼き菓子、ジャムなどは夫が作っています)と言いながらも4日ほどかけてにわとり小屋をつくってくれました。いよいよ、夢に見たにわとりのいる生活がはじまります。

 

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小松菜
わからん菜
高菜
さつまいも
ねぎ
チャーテ
新しょうが
ぎんなん
直七


朝市野菜便(10/22)

 

 “狩猟採集”ということばを聞くと、ときめきます。きっと、自分のなかの、野生が刺激されるのです。狩猟…は未体験ですが、一昨年に80キロもあるイノシシの解体を見せていただいたのは、ほんとうに貴重な経験でした。山にあるものだけを食べたイノシシやシカージビエと呼ばれるーは、自然そのものの、力強くも透明感のある味で、大鍋でゆでたイノシシの骨付き肉にしょうゆとゆずをじゃっとしぼったのは踊り出したいくらいにおいしく、いくら食べても体が疲れず、どんどんエネルギーが満ちてゆくようでした。ときたま高級肉として売られてもいるけれど、やはり、仕留めたひとから思いがけずわけていただく、というのがすてきです。便利で快適な生活の恩恵にあずかりながらも、“野生”になんとかしてつながっていたい、と願いつづけているようにおもいます。


 「いちばんおいしいものは、買えないもの」だと常からおもっているのですが、柿はその代表格で、手入れもなにもされていない庭の柿のすばらしさといったら!栽培されたものがうつくしく、特有の甘さがあるのに対して、傷のある姿に、かろやかなすっとした味、太陽の甘さ、ただ、自然に生きていましたらこういう実がなりました、という素朴さに心を打たれます。つめたくなった秋の空気のなか、枯れかけたようにさえ見える幹に橙色の実がふんだんにぶらさがっているのを見ると、いてもたってもいられない気分になります。


 近所に陶芸家の若い女性が住んでいて、とおりすがりにいただいた柿が、今シーズンいちばんのおいしさで、そしていつまでたってもそのお宅の柿の実の数が一向に減らないので、「柿、すごくおいしかったので今度ゆずってください」とあつかましくも(本当に!)お願いしたところ、「ちょうど高枝切りばさみを借りてきたところなので、明日一緒にとりましょう」と言ってくれたのでした。翌日、虫取り網を片手に(これがあると便利)意気揚々と現場に向かい、梯子と高枝切りばさみ、虫取り網を駆使した連携プレーで、かごの中はあっという間に柿でいっぱいに。「手伝ってもらって助かったのでどうぞ」とおっしゃるのを「毎日直売で買っているので。それにお客様にもお送りしたいので」と、買わせていただいたのでした。

 

 “採集”はもっと自然の中でのこと(山菜とか木の実とか貝とか)を言うのでしょうが、柿を採っているそのときの私の興奮と集中がないまぜになった精神状態は、おそらくむかしむかしの狩猟採集時代の人々のそれとつながっているように思えるのです。山の中には、まだ見ぬおいしいあれこれが季節ごとに生まれ、たいがいの場合、食べられることなくまた土にもどってゆくにちがいない、そんな風に考えると、山に分け入って、それらと出会ってみたい、そして背負いかごいっぱいに採らせていただけたなら、食べきれない分はおすそ分けしたり保存食にしたり、そうやって全身でその季節を浴びてみたい、そんな妄想が頭を駆け巡るのです。

 

 

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空芯菜
りゅうきゅう
ねぎ
チャーテ
新しょうが 
ぎんなん
すだち 
柿 
きしまめ茶


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